リーガルハイから学ぶ正義論と医療のあり方

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堺雅人さん演じる傍若無人、常勝無敗の“毒舌弁護士”古美門研介が1年ぶりに帰ってきた。今回は大森南朋さん演じる“たかり弁護士”の九條和馬とノールールの法廷バトルを繰り広げる。

今回の題材は医療訴訟。夫を亡くし九條に弁護を依頼する未亡人(吉瀬美智子さん)と、ミスを認めない巨大総合病院との法廷闘争が展開される。難癖をつけて小金を巻き上げることをなりわいとしてきた“最下層弁護士”の九條と、病院側を弁護する百戦錬磨の古美門では勝負にならないようにみえたが……。

11/22に放送されたリーガルハイ・スペシャルは、「医療」をテーマにしたドラマでした。

ハイムリック・ルーゴル症候群(実際にはない病名のようです!)という全身性の難病と、その新規治療薬である「Zマブ」(マブだから抗体医薬?)にまつわる医療訴訟のお話でした。

私たちは、他人の人生や物語を目の当たりにしたときに「価値観」が大きく揺すぶられます。

今回のリーガルハイも、いわゆる「悪者」があっちにいったり、こっちにきたりと本当に忙しく感情がものすごく揺すぶられました。

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正義と悪とは何か?

僕たちは、ある物事に対し自分なりの「正」と「悪」をもっていると思いますが、それがいかに自分の感情に左右され、いとも簡単に変わってしまうのかをリーガルハイで感じてもらえるかと思います。

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この「正義」と「悪」という構図は「ワンピース」などのマンガでも考えることができます。ワンピースを読んでいる人にとって、ルフィー海賊団は「正義」ですか?それとも「悪」ですか?

おそらく、ほとんどの人が無意識に「正義寄り」の感覚をもっているかと思います。

それは、ルフィーとその仲間たちの「人生や物語」を実際に自分の目で見てきているからです。そして、それらの人物の気持ちや背景に共感できているからです。

読者はもはやルフィーの仲間になっているのです。

そうなると、ルフィーたちの前に立ちはだかる人は「敵」になってしまうのです。だから、海軍が攻めてきたとき、ルフィーたちが多数の海軍たちを一度になぎ倒すシーンは「爽快」なはずです。

ルフィーが「敵」になる!?

しかし、もしこんなシーンがあったらどうでしょう?

ある日、一人の海兵が自宅の玄関先でお嫁さんに「いってきます」と一言。

奥さんの腕のなかには生まれたばかりの赤ちゃん。かわいい女の子、今日でちょうど一回目の誕生日だ。

「今日は早めに帰ってくるから3人でお祝いしよう。」

「そうね。気をつけていってらっしゃい。絶対に無理はしないで。」

今日の任務は、噂のルフィー海賊団の確保。各地で騒ぎを起こし、懸賞金が数億にもなった大海賊団。

いつものように朝礼をして、軍船に乗り込み目的地へ向かう。

そして、ついに目の前にルフィー海賊団が現れた。

大佐から交戦の号令が鳴り響く「確保だー!」

しかし、むこうは圧倒的な戦力で立ちはだかり、軍船もあっという間に沈められ、この若き海兵の行方も分からない。

ここは、グランドラインの海のど真ん中、おそらく助かる見込みは望めない。

そのころ、自宅で彼の帰りを待つ2人は・・・

・・・

いかがでしょうか。ちょっと短いドラマで感情移入は難しいかもしれませんが、もしかしたらルフィーがちょっと悪い奴らに思えたかもしれませんね。

このように、私たちの善や悪といった感覚は「文脈」で大きく変わってしまうものである、ということを知っておく必要があると思います。

私たちは、受けとった情報と自分の主観の多大な影響を受けて、物事の善悪を判断しているのです。

リーガルハイをみていても、それぞれの人生背景や想いを知ることで、彼らを悪者にしたり、はたまた同情したりしている自分に気づくはずです。

つまり、人間は「それぞれの正義」で生きているし、自らの信じる道を生きていくしかないのです。しかし、一方でその行動や選択は違う角度からみれば、また違った意味をもつということを忘れないようにしたいものです。

科学は犠牲のたまもの

今回の話をみて、特に印象的だった”古美門研介”の言葉があります。

「科学は無数の犠牲のうえで進歩してきた。人々はその犠牲には理解を示す。科学の恩恵にあずかりたいからだ。しかし、その犠牲が自分のまわりに起こったときには、途端に「なぜ自分だけが!」と当たり散らす。」

これは、本当にその通りだなと思います。

科学や医療の進歩は、ほんとうに数えきれない犠牲や実験によって成り立ってきたものです。人だけでなく、動物は人の何百倍・何千倍も犠牲になっています。

一方で、患者側の弁護士の言葉で「科学なんてクソくらえだ!患者にとっては、たった一つの命なんだ。数パーセントという数字で済ませるな!」

これもまたその通りだと思います。

しかし、医療行為や薬には「リスク」がつきものなのです。どんなに安全な薬であってもリスクはゼロではありません。

医療人はそのことを皆理解していて、仕方のないことであると考えますが、やはりその事実を「当たり前」と済ませるのではなく、真摯に説明する義務があるのかもしれません。

また、現場は非常に忙しいのです。忙しいと、人は「雑」になります。それは人間として仕方のないことだと思います。ある程度は、環境の整備も必要になるでしょう。

しかし、僕たちにとって数万あるケースの1つだとしても、患者にとってはかけがいのない「1」であるということを忘れてはいけません。

「数字でみる」ことは科学の進歩や正当な医療を行うには不可欠です。しかし一方で、目の前の「1人の人間」という、数字とは逆の視点も大切なのかもしれません。

どちらの考えに偏りすぎても、医療を前に進めることはできません。やはり、アリストテレスが教えるように、何事も「中庸」であるべきなのかもしれません。

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