狭間先生の「責任を取らない職種に信頼や賞賛はない」を読んで感じたこと。

hazama
狭間先生のお話はいつも核心をつく内容で、すごく興味深いものばかりです。

DI会員の方はいつもどおりリンクです。
⇒リンク:責任を取らない職種に信頼や賞賛はない

このコラムを読んで、多くの薬剤師はどのように感じるんでしょうか。すごくいろんな方の意見を聞きたいですね。

僕自身も「責任」というものに関して、よく考えたことがありました。そこで一つ感じたのは、「責任」は「権利」と表裏をなすものであるということ。

権利がないのに、責任はありません。

これは、すごく簡単な理屈です。何者かの監督下において、何らかの仕事をした場合、仕事そのものの「正確性」であるとか、「デキ」の部分に対しては「責任」が生じるでしょう。

しかし、仕事の意図や目的であるとか、その内容の正当性などに関しては、権利のない者が介入できる領域ではありません。

おそらく、狭間先生はこの部分に薬剤師が関わっていくべきだとおっしゃっているのだと思いました。

でも、これは自然発生的には起こらないことだと、僕は思うのです。

つまり、薬剤師への一部処方権付与などの法改正、大きな調剤報酬の変化がない限り、おそらく薬剤師は変わらないはずです。

薬剤師だけでなく、人は自分に対する「必然性」なくして変わらないからです。

だから僕は、人を育てたいと思ったときはいつも「あなたならどうする?」ということを必ず問いかけます。

この視点がないと、人は絶対に成長しないし、自分の仕事に責任感も持てないと思うからです。

その答えが、適切かそうでないかは関係ありません。自分で考えて、判断し、実行し、そこに責任をもつということがセットで存在しています。

だから、まずは権利を与えてみるのです。

では、薬剤師はどうなのか?

社会が薬剤師をもっと有効的に使いたいと判断するか?それとも、このまま据え置くか?というところに鍵があると思います。

現実的な話をすると、薬剤師からは変わりません。というか、変われません。

社会が薬剤師を変えるしかないと思います。

やらざるを得ない状況をつくる、しかないと思います。

医師だって、誰もがはじめから一人前だったわけではなく、知識も乏しく何も分からない状態からのスタートだったはずです。

しかし、自分の目の前には病気で苦しむ1人の患者さんがいて、自分で何とかしないといけない!そんな想いで必死に学び努力したのだと思います。

僕自身も、「医師の立場になって薬を選ぶとしたらどうするか?」ということを考えて初めて自分のなかで本気になれた、という経験があります。

また、OTCを販売するときには、やはり責任というものを感じます。それは、「自分の判断と責任」で選んでいるからです。

それは同時に、薬剤師として非常に楽しくやりがいを感じる瞬間でもありました。

今の薬剤師には、その”きっかけ”がないのです。

剤形一つをとっても選択の「権利」はなく、後発品への変更ですら医師への確認が必要です。薬のプロフェッショナルであるといわれているにもかかわらず、です。

この状況で、どうやって自主性や責任感をもて、というのでしょう?逆に、責任感をもてという方が酷なのでは、という見方もできると思います。

最近は、薬剤師を批判するような風潮が強いですが、そういう薬剤師を育てたのも今の医療や社会制度とも言えます。

人間性や資質の面において、医師や看護師が立派で薬剤師が劣っているとは思いません。現状においてそれぞれの職域が異なっているだけのことです。

医療への取り組み方や責任感の差は、単に「環境や権利の差」であると僕は思います。

こういう主張をすると、「権利ばかり主張して、これだから薬剤師は・・・」という批判も聞こえてきそうです。

でも、思いきって薬剤師に仕事を振ってみるのもいいかもしれません。薬剤師は根が真面目な人が多いですから、期待に応えたいという気持ちは人一倍あるはずです。

もちろん、はじめは的確な返答や仕事をやってくれないかもしれません。でも、それは人の教育や成長には必要な過程のはずです。

それは何も薬剤師にのみ言えることではなく、すべての職種に共通することだと僕は思います。

一方で、薬剤師もそのチャンスをつかむ努力と意欲をもつことは不可欠です。危機感をもつことも必要でしょう。

何かを変えたいのなら、その言葉通り”何かを変えないといけない”のです。

卵が先か、鶏が先か、いったいどちらが先なんでしょうか・・・。

このままの状況が続くとは思えませんが、今後の進展はいかに。

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コメント

  1. 6年制三期生 より:

    まさにその通りです。
    責任を持てと言われても、「出来ないように物事が決定されている」なら、どう頑張っても出来ないと、働いて感じます。
    処方設計、医師への適正薬剤の進言、全て拒否され否定されます。疑義照会ですら「してはいけない」という暗黙の了解があります。こんな環境で「権利を主張するなら義務を果たしてから」というのは無理があると感じる毎日です。

    • しゅがあ より:

      コメントいただきありがとうございます。

      共感いただきうれしく思います^^

      現状が「薬剤師だけの問題」として取り上げられているのが、すごく納得がいかずこのような記事になりました。

      努力をしない言い訳にはしたくはないのですが、取り巻く環境そのものがあまりにも厳しい状態であるというのもご理解いただきたいものです。

      でも僕は、今後は医師主導の医療ではなく「患者主導の医療」になっていくと考えています。患者が自ら「情報」を得られるようになった今、信頼できない医療は淘汰されます。実際に、患者さんと接していても肌で感じます。

      たとえば、単なる風邪に機械的に抗生剤を処方している医師は淘汰される、ということです。もう風邪に抗生剤はいらないというのは、常識になってきていますからね。

      そうなったときには権利などは関係なく、患者自身が真に信頼する人を頼るようになるでしょう。それは医師、薬剤師などの境界はなくなっていく、ということでもあります。

      だって、患者さんの目的は「健康」になることですから。

      そのときのために努力を続けていくことが大切だ!と自分に言い聞かせて当面は頑張るしかないかもですね^ ^

      またのご訪問、コメントをお待ちしております!

  2. 匿名 より:

    たまたま見つけた通りすがりです。
    今さらでしょうがコメントさせてください。
    医療関係者でもなく、それを目指しているでもない一般人です。

    この記事を読んだ後にこちらに辿りつきました。
    http://yakkyokujimu.blogspot.jp/2014/08/GE.html?m=1

    「もし患者にジェネリックに変えたことで副作用が起こってしまった場合は医薬品副作用被害救済制度が適用になるから医薬品医療機器総合機構にあとはお任せすればいいのです。」

    こんな制度があることも初めてしりましたし、思っていたより薬剤師の方がビジネスライクな思考なことに驚きました。

    中にはこのような考えの方もおられるのでしょう。
    これが多数派なのか少数派なのかは知りませんが…

    以前ジェネリックだけで副作用が出たことがあります。
    しかしそれは、先発薬を指定しなかった主治医の責任であり、処方箋薬局で勧められてジェネリックにした無知な患者だった自分の責任だと反省しています。

    薬剤師はもとより、信用できる医師を探すのも大変なのに、医師と薬剤師の境界云々なんて怖すぎるのでやめてください。

    • しゅがあ より:

      >こんな制度があることも初めてしりましたし、思っていたより薬剤師の方がビジネスライクな思考なことに驚きました。

      一部の情報で物事を判断するのは危険ですよ。とあるブログの記事をみて、それがすべてだと決めつけるのは安易ですし、職種にかかわずいろいろな考え方をもった方々がいます。

      薬剤師自身がビジネスライクというよりは、立場として受け身になりやすいということですね。方針や指示を出すのは株式会社の経営者であるということから、そうなりやすいという側面もあるとおもいます。

      >ジェネリックでの副作用について
      ジェネリックは先発と確かにまったく同じではない、というのは事実です。ですが、ジェネリックに変更して体調が変化したからといって、すぐに副作用だと判断される方が多いのには危惧しています。

      たまたま変更時期と症状変化が一致したという可能性を残してもよいのではないか、と個人的には感じています。

      もし、本当に体質に合わなかったのなら、一体何が原因だったのか?を把握しておく必要があるのではないかなと思います。

      国の方針含め、今後はジェネリックは主流になる時代ですから、もう少し慎重に判断されたほうがよいと思います。

  3. 猫好き より:

    権利を主張しても責任が取れるのかということを考えてしまう、猫好きです。
    医師は、正直言って自分の経験則だけで、大丈夫とよく言っている気がします。
    私の父もそういうところがあり、あまりいい気がしません。
    しかし、狭間先生が言われている権利を主張するのなら責任を持てというのは、今までの薬剤師がそもそも問題があったということになると思います。
    薬の専門性は高くても、患者から顔が見えてこなかったということが大きいと思います。人から物ではなく、人から人に対してやっていかないといけないのではないかと思います。社会を変えていく必要があると、しゅがあさんはおっしゃていますが、私は、
    六年制になっても薬剤師が顔がまだまだ見えているとは思われていないことが原因ではないかとも思います。
    なぜなら、まだ多職種との連携ができるだけの能力が身についてきていないのではと
    思うからです。これは、今のコアカリに変更する前は、正直言って先見の明を持っておられる教員がごく少数であるなと私自身感じていました。
    もう一つとして、基礎系科目と応用系科目への移行が遅いことによる、学生のやる気が低下していることです。いくら一部の学生がやる気を持っていてもそれが全員にならないと意味がないと思うので。
    臨床系の科目にかける時間もまだまだ不十分であると感じているなかで、自分なりに、
    医療の現場の情報がすぐにわかるサイトに登録して、日々読んでいます。
    六年制になって、他の医療関係者と連携をしていけるようになると思うのは、時期尚早であるのではないかと思います。これからの日々の研鑽も含めて、学生のうちから、
    他の医療関係学部の学生とのかかわりも必要であると思います。
    以上です。