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スマホで板書を撮る気持ち、
非常によく分かるんですよね。
だって、あの膨大なスライドをノートに書き写せるわけないでしょ!
1回の講義でスライド100枚以上使う先生だっているし。
そりゃあ、
スライドを写真で撮っちゃうほうが
明らかに効率がいいですし、
あとから復習することもできますよね。
「手書きすれば、記憶に残る効率もよくなる」
とはいっても、そういうレベルではないですよ。
黒板に板書をしてくれる先生はいいけど、
パワポで説明していくのであれば
生徒にもIT技術を使わせるべきであって。
写真をとられるのが嫌なのであれば、
スライドはダウンロードできるようにしておけばよいだけ。
そのほうが書き写すのに意識をとられず、
先生の話をしっかりと聴けるからWIN-WINです。
あと、テストでiphoneでスライドみながら
カンニングした事例もあるようだけど、
今の時代には必然なことで、別に問題ないのではないかと思います。
そこを問題視すべきではなくて
僕はそろそろ学校のテストそのもの
を変えていくべきだと思います。
アインシュタインが言った言葉で、
「調べれば分かることをなぜ覚える必要があるのだろう」
という言葉があったと思います。
これは、ほんとうにその通り。
最近では特に顕著になってきていて、
今は「インターネット」が人の記憶脳の
代わりとして誰でも使える時代になっているんです。
そんな時代に、
「記憶力」だけを試す試験をやって
何の意味があるのだろう、と思ってしまうのです。
ましてや、
一夜漬けの試験勉強で覚えた記憶
なんて一瞬でなくなってしまうのに。
だって、
「794年に平安京がつくられた」
と覚えて何の意味があるんですか?
大切なのは、
どういう経緯で、どんな人が
どんな意図をもって行動し、
その結果どうなったのか?
そして、その歴史的事実が
今後、あなたの人生にどう活かされるの?
ということが重要なのです。
それを本当の「教育」だと思うのです。
歴史の事実をただ黒板に写して
それを暗記したか?を試して、教育っていうのでしょうか。。。
こんなの歴史が嫌いな子ども
を量産するだけでしょう?
もっと本質的な学習を
教えられるところがたくさんできたら
日本はもっとすごい国になるのになぁ・・・
なんて。
と、話を戻して、
しょせん人の知識量なんて
たかが知れています。
大切なのは、
情報を素早く見極めて適切に使う能力、
そして、新たなものを生み出していく創造力です。
そういう力を鍛えるものに
変えていかないと教育は
時代に取り残されてしまいます。
だから、テストには
ネット端末、本、ノートなど
何でも持ち込み可にすればよいのです。
その上で、問題を解く能力を試すテストにするのです。
実際、僕の大学では持ち込みできる
教科がありましたが、
それでも解けない問題があって
全員合格にはならないんです。
そういうテストの場合、
必然的に単純な暗記問題ではなく
より実践的で、頭を使う問題になるはずです。
そして、大学までいったのだから、
別に解答はひとつでなくてよいと思います。
しっかりとした論理力と判断力が
解答に現れていれば、合格にすればよいでしょう。
それじゃあ、
ネットがなければ何も
できない人になるのでは?
という人もいるかもしれません。
そもそもインターネットが使えない
状況は非常にまれだと思いますが、
緊急時の場合などでしょうか?
確かに、緊急性が高い場合は
いちいちネットで探して・・・
という時間はないのかもしれません。
でも、そういう知識は
大半が現場で覚えるものですよね。
みなさんが実感としてあるように、
覚えるべき知識というのは、
自然と現場で覚えるものなんです。
というか、現場で覚えないと
ほんとうの意味で知識が「知恵」に変わる
ことはありませんよね。
以上!
板書はスマホで撮影して問題なし!
(※ただ他の人の邪魔にならないよう配慮する!)
カンニングは勝手にやらせておけばよい!
カンニングで合格点をとれるテストそのものを変えるべき!
コメント
>アインシュタインが言った言葉で、
「調べれば分かることをなぜ覚える必要があるのだろう」
という言葉があったと思います。
そうなんですね。自分も同じことを思い覚えることは最小限にしてました。PCもメモリに多く入れると遅くなるのとヒトも同じと思ってます。必要な公式なんかも覚えず作成してましたね。懐かしい。
薬学の場合は国試を見据えた試験になりがちなので暗記脱却は難しいかと思いますが、個人的には辞書でもPCでも自己能力の範囲ないであれば持ち込み可で、応用力をみる問題の方が面白いと思います。
>ヒロさん
僕もそろそろ教育方針は、世界の環境変化に合わせてシフトしていったほうがいいのではないかなと思います。
インターネットや一般書籍が普及する以前では、知っていること自体に価値がありましたが、今は知っているだけでは価値はないですから。使えないと。
最低限必要なことというのは、臨床で自然に記憶するものですし、試験の内容なんてほとんどの人がその場で忘れてしまうものです。そんなものを試験して、果たして使える人間が育つのでしょうか?
だからこそ、臨床事例をスタートにして、そこで思考するために必要な実践的知識を身につける教育に変えていくべきだと思います。実際のハーバードのテキストではそうなっていて、それが効果的な教育として海外では実践されているのだと思います。
日本の教育。変わっていくといいですね。
お久しぶりです、猫好きです。
私が思うのは、正直に言って、薬学教育も医学教育も、暗記だけをメインでさせて、記憶を試す試験がざらでありすぎて、意味があるのかということです。
しゅがあさんの意見より、少し言い過ぎるかもしれませんが、そもそもの入学試験そのものも排除すべきものであると思います。
医学部を例にとれば、わかるように、頭がいいから医学部に行ったという例がほとんどであり、苦労して入った子が馬鹿にされる事態もあるわけです。
私の弟は現役で入ったほうですので、要領もよく勉強していますが、浪人して入った子を馬鹿にしていることがよくあります。
授業でもそうですが、極めつけは、試験で過去問どおりにでているという試験がいまだに存在するということです。多少は出し方も変えていますが、それでも、まだまだ、同じものであるという感じがぬぐえないです。
過去問に頼るのは直前期ではありますが、それまでは、どういう出し方をされてもいいように勉強していることが重要であって、過去問は補助的な役割しかないとも思っています。入学試験そのものを廃止することも、考えることが大事になってくるのではないかと思っています。海外での大学、ハンガリーの医学部における審査においてですが、
試験の結果よりも、受験生の人間性そのものをしっかりと見たうえで、入学を認定しているとホームページ上で書いています。ほんとに、医師、薬剤師になりたくてその学部を選んできている人が入れず、頭がいいからその学部に入れる人がいるのは、どうみてもおかしいことでないかと思います。国家試験の合格率だけを考えすぎた結果が、このような惨劇を作り出してしまったのなら、早くやめて違う方法を考えていくべきではないかと思います。入学試験を廃止することも含めた検討が今の日本における教育で、必要になっているのではないでしょうか。