今日は、精神科について考えたことを書いていきます。
あまり考えが偏らないように、できるだけ冷静に考察していきたいと思いますので、いまお薬を飲んでいる方なども一緒に考えてもらえればうれしいです。
今回の本はこちら↓
なかなかインパクトのあるタイトルです。
自らを「やくざ医師」と呼び、医療業界に一石を投じる医学界の異端児、内海先生の本です。
もっとも、ご本人は「先生」ともよばれたくはないかもしれませんが、内科医として現在も精力的に活動されている医師です。
内容は、あくまで大衆向けの本なので強めの「煽り」はありますが、的を射ていることはあるなぁと思いますので、ぜひ一読してもらえればと思います。
目次
向精神薬と覚せい剤はまったく同じ!?
本のなかで、内海先生は精神科で使われている薬(SSRIなどの抗うつ薬)と覚せい剤は同じものであると訴えています。
副作用が少ない覚せい剤であると。
本の内容を抜粋すると、
【向精神薬とは】
・抗うつ薬はセロトニンの取り込みを阻害する=セロトニンを増やす。
・抗精神病薬はドーパミンの活動を抑える。セロトニンにも作用する。
・抗パーキンソン病薬はドーパミンを増やしたり刺激する。
・抗不安薬はベンゾジアゼピン結合部に作用し、ノルアドレナリンやドーパミンを抑制する。
【麻薬・覚醒剤とは】
・MDMAはセロトニンの再取り込みを阻害する。細胞内セロトニンを高める。
・LSDは脳内のセロトニンシステムに働きかける。
・覚醒剤はドーパミンを放出し取り込みを阻害する。
・コカインはセロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリントランスポーターを阻害する。
・・・と、こんな感じで書いてあります。
脳内のセロトニンやらアドレナレンやらドパミンやらの作用を一時的に強める物質という意味で同じ、というわけです。
ただ「目にみえる依存性」や「ぶっとび加減」が、病院でもらう薬は弱いというだけですよ、と。
多少乱暴かもしれませんが、私もこれについては納得です。(さらに、精神科の薬がどのように効くかは分からないことが山積みです。)
それらの薬を処方して精神科に依存させて、「心の病んだ固定客」から医療費を巻き上げるのが「精神科」や「心療内科」というところである、ということです。
この構造を考えてみると、精神科は「医療保険」を使ったドラッグ売買であり、「薬がほしい患者」と「診察料がほしい医者」の利益が一致し、さらに安く薬が買えちゃう画期的なシステムになっています。
とりあえず、よいか悪いかは別の議論にするとして、こういう構造になっているということは疑いようのない事実です。
精神科医は詐欺師なのか?
これを踏まえたうえで、精神科医は悪いやつなのかと考えてみましょう。
色々なご意見があるでしょうが、実のところ私はそうは思いません。むしろ、当然のことをやっているだけ、だと思います。
あくまで社会的なルールに従って、患者を診て自分が必要だと思った薬を処方しているだけですから。
一方、患者はというと、自分の意志で、自分の足で、病院に通いお金を払って薬をもらっているだけです。
ただし、ほんとうに自分の意志かと言われたら、もしかすると薬のもつ「依存性」によって患誘導されている可能性はありますが・・・。
ここで内海先生の言う「詐欺師」とは何なのかというと、構造的な問題ではなく、「医療」という観点でみたときの話です。
内海先生の考える「医学・医療の使命」とは、「患者を治すこと」であって、「病院に通わせること」ではないと主張しています。
その点でみると、本質的に「治すこと」を前提としない向精神薬「のみ」を道具として使う精神科医は詐欺師であるということなのです。
確かにその論理でいうと、あたかも精神的な病が治るかのように宣伝して患者を集め、依存患者を次々に生み出す精神医学業界は詐欺でしょう。
さらに、内海先生は鋭い指摘も続けています。
「社会不安障害」「強迫性障害」「気分変調症」・・・新しい病名を次々に生み出し、「それっぽい」症状をもつ人に「病名」をつけて薬物治療の対象にしている。
製薬会社と共同して精神科マーケットを広げている。
これも事実として、間違いではありません。
うつ病やら不安障害やらと自らを納得させて、病気なら仕方がないという逃げ道がつくられているのも、確かに実感としてあります。
そういう人間の心理につけ込んだやり口は、確かに詐欺的ということもできるかもしれません。
精神科は決してなくならない
精神科、最近では「心療内科」とも呼ばれますが、今後減っていくことはおそらくないでしょう。
むしろ、社会的なストレスや不安も増えて今後も増えていくはずです。
向精神薬の売り上げも当然増えていきます。
それは医療システムをみれば、ごくごく自然なことです。
精神科医は、患者がこなければ食べてはいけません。一回きりで診察が終わってしまったら、病院の運営はできません。(これはすべての診療科に言えることですが)
患者に何回もきてもらうには薬を出すしかありません。
そして、薬を出せば国から保険点数が入ります。ちなみに、今の医療制度では「長時間のカウンセリング」や「健康相談」に対しては、保険からは1円も点数が入りません。
効率を考えば、さくっと話をきいて同じ薬を定期的に処方すれば安定した収入が得られます。
患者は「健康保険」を使って、最大3割負担で薬をもらうことができます。
この大きなシステムに隙は一切ありません。
一見すると、誰も損をしていないのです。
損をしているのは、目に見えない患者の「脳」と「からだ」だけですから。
精神医学界のもっとも怖いこと
この構造でもっとも恐ろしいのは、誰一人として「悪いことをしている」という意識がなく、社会的にもよしと認識されていることです。
多くの精神科医は「悪人」ではないし、目の前の患者に対してよかれと思ってやっているし、それを信じて治療を受けている患者がいます。
では、何が問題なのかといえば「薬」なのかもしれません。
薬がなければ、その選択肢をもたず「人」を中心にした医療に自然となるだろうし、診療報酬のシステムもそうならざるを得ません。
たらればの話をしても仕方がないのですが。。。
私自身が、処方する医師や薬をもらう患者に対してどうこう言うつもりはありませんが、双方が望む結果が得られていればよいのです。
ただ、薬によって感情と表情を失い、能面をかぶったような患者さん顔を目の前にしたときの、あの何ともいえない感情は私のなかで確かにあるのです。
「今の状況が、この人の本当に望んだ未来だったのだろうか?」とつい思いをめぐらせてしまうのです。
確かに悩みやストレスからは、薬によって一時的に隔離されたのかもしれません。
でも、人生ってそれでいいのだろうか?
こういう人をなんとか助けられる医療や社会ってつくれないのだろうか?
そんなことを、ふと思っています。
新しい精神科と医療システムを
それなら、精神科は全部なくなってしまえばいい!と言ってしまっては、あまりにも無責任な話です。
世界というのは、そうなるべくしてなっているわけで、その時代の条件における「最も自然なところ」に落ち着くと思っています。
それが、誰かの思惑であったとしても、です。
おそらくどの業界においても、制度のトップから現場の末端に至るまで「私腹を肥やしている人」というのは必ずいるわけで、それを悪いと訴えたところで何も始まらないのです。
私たちは、目の前にある環境のなかで生きていかなくてはいけないのです。
おそらくこの本を読まれた方には、腑に落ちる方もいたり、精神科に対して悪意をもつ方もいるかもしれません。
しかし、何かを否定するときには、必ず代替案を出さなければ物事の発展は見込めません。
そのあたりについては、しっかりと本にも書いてあるので、一つの意見として参考にしてほしいと思います。内容も至極もっともなことでした。
個人的に考えるのは次の2点です。
①患者自身がもっと考え、学習をする。
②医療の評価方法を変えていく。
患者がまず自分自身に責任をもつ、ということが何よりも前提だと思います。
患者さんには「ほんとに何も知らずに飲んでいいの?」ってくらい無頓着な方が多いです。(そのために薬剤師いるのになぁ^^;)
放射能どうこう言うくらいなら、病院でもらった薬にもっと関心をもったほうがいいよ!と個人的には思うのですが(汗
特に精神領域については、本人の性格や意識によるところが非常に大きいです。精神的な深い部分については他人には絶対に分かりません。
そして、乗り越えられるのも最終的には「自分自身」であり、医師や薬の力ではありません。それらに依存すると、必ず痛い目をみることになります。あくまで力を借りるだけ、という強い意志が必要です。
②については、実現は難しいと思いますが、「投薬=医療」という保険の評価システムをかえなければ「治す医療」は実現不可能です。
ほとんどの人間は楽をして生活を送りたいし、楽をしてお金を稼ぎたいのです。
その人間性を利用するような今の医療体制では、医療費は減らないし、本当の「こころとからだの健康」からはどんどん遠ざかるだけです。
話を聞いてあげる、運動をサポートする、健康相談をする、同じ病気で悩む人たちの話す場を提供する、安心して働ける場所を提供する・・・これらのことを「投薬」と同じように評価して保険でやってあげればよいと思います。
実現は難しいかもしれません。
でも、1人1人がアイディアを出して自分から変えていくしか方法はないと思います。
私は、これを読んでくれた方の考えや行動になんらかの変化があればという想いで書いています。
それぞれが考える、よりよい未来を願って・・・
それでは、最後に印象に残った内海先生の言葉を借りて、締めたいと思います。
人間はちょっとしたことで怒り、泣き、笑い、悲しむ、ちょっとしたことで不安になり、どうでもいいことにこだわってしまう。変なものが見えたり聞こえたりすることも、人によってはあるだろう。それが普通であることを人々は忘れてしまったようだ。
☆薬に手を出さずにうつ病を治したい方へ向けた新しい記事です☆
コメント
ssriが日本に入ってきた頃は、うつの患者さんはセロトニンが不足していたんだ!作用機序を勉強して賢くなった気分になりました(笑)うつはこころの風邪キャンペーンが始まり爆発的に処方量が増え、新型うつだの、社会不安障害だの、新しい病名が増え、最近は気分障害、双極性が流行り?そしてパキシルの添付文書に若年者に有効性が確認できなかったとか自殺のリスク増大とか載って、えっ?となり。プラセボ対象試験で有意差が認められない論文がいっぱい、殆どの人はこの手の薬は胡散臭いと思っているのでは?最近危惧するのは発達障害の病名のもとに子供にまで薬を処方していることです。セロトニンが不足というのも仮説にしかすぎない、統合失調症でさえもドーパミン仮説、予後は圧倒的に薬漬けの方が悪いとなれば、薬物治療は慎重になって欲しいです。うつ病は「人生の危機」であって「脳の病気」ではないと思います。効うつ薬に「効パワハラ効果」「効嫁姑葛藤効果」「効多重債務効果」「効dv夫矯正効果」「暴言妻鎮静効果」などないですもんね。
>しろちゃん さん
いつもコメントありがとうございます^^
薬の性質上、すべてのことが証明されてから使用するということは不可能なことだと思います。(薬のこれまでの歴史から考えても)
しかし、そうだからこそ「夢のような薬」として安易に大衆化すべきものではないと思います。
薬は人体にとって異物であり毒なのだということを、一般の人に対しても再度認識してもらう必要があるのではないかな?と感じますよね。それだと製薬会社も病院も薬局も「儲からなくなる」ので困るのですが。なので、私自身も大きな声ではいえず、こっそりネットで発信しています(笑
まぁ、結局のところ学ばざるものは利用されるというのが世の常です。でも知らずに幸せに生きられるのであれば、それはそれでよいことかもしれないと最近は割り切っています(苦笑)
58歳の女性です。
2005年の年末に鬱病の診断を受け、2016年までずっと薬を飲んでました。2011年からは血圧の薬も貰うようになり、通院を止めることがますます困難になりました。「血圧の薬は専門医に貰いたい」と先生に言いましたが、スルーされました。
今思えば、2008年には、毎月1回四国に渡り、2日間徒歩で遍路旅をするほど元気になっていました。仕事の合間にです。それでもバカ真面目に薬を飲み続けていました。勝手に薬を止めれば、また悪くなると思っていたからです。投薬は長年に渡り、薬の種類を取っ替え引っ替えされました。
2016年に入ったくらいから、身体がダルい、身の回りのことも思うように出来ないのは薬のせいかな?と感じるほど悪くなりました。また医療保険に入ろうとしたのがきっかけで、常識外の投薬を受けていることを知りました。
2016年の秋、セカンドオピニオンで他の心療内科の先生から減薬と断薬の方法を教わり実行しました。順調に断薬でき、循環器内科で血圧の薬とマイスリーを貰うようになりました。
体調は驚くほど良くなりました。身体が軽くなったと感じ、家事もこまめにするようになりました。
ところが、2017年4月、ちょっとしたストレスにさらされた私は、なんと別の心療内科を受診したのです。結果は悲惨でした。一ヶ月で薬をどんどん増やされ、身体が動かなくなり、病院にも行けず、突然の断薬。一週間苦しみましたが、なんとか収まりました。このまま断薬を続行するつもりです。
コックさんは味見をしますが、心療内科の先生は薬を試してみることはないと思います。だから薬の怖さがわからないのでしょう。心療内科の先生は、投薬を始めることはあっても、投薬を終わらせる気持ちはないのです。なるべく多くの人に、このことを知ってもらいたいと思います。
今日、循環器内科で事情を話し、心療内科の薬は二度と飲みたくないこと、マイスリーは飲むけど将来的にはこれも止める気持ちであることを伝えました。先生は協力的です。
これからは生活習慣を改め、健康的な毎日を送ろうと思います。
長くなってすみません。
貴重な経験談とご意見ありがとうございます。
まさにおっしゃるとおりの現状と思います。
もちろん、精神科があったから助かったという方もいらっしゃることと思います。現状では少なくとも「駆け込み寺」としての機能は果たしていると思うので。
ただ、その先に本当の幸せがあるかは、慎重に考えていく必要があると思います。
海部麿さんは、ご自身で強い意志をもち、未来を変えられた数少ないお人だと思います。多くの人は、一度足を踏み入れたら抜け出せません。
精神科に限らず「原因」に対するアプローチや解決策を考えることが、今の医療は大きく欠けています。
患者がよくなってしまっては、病院に来なくなってしまう。そう言っている医師もいます。もちろん病院・薬局とて、患者さんが来てくれなければ潰れてしまうのですが。。。
構造的な問題と倫理的な問題、さまざまな要素が絡み合って、現在の医療が存在しています。その歪みと異常さに気づいた方だけが、そのしがらみから脱して、本当の健康について考えていくことができます。
今後の海部麿さんのご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
海部麿さん、大変お辛い経験をされたのですね。
あ、申し遅れました、薬学生猫好きです。
精神疾患を患われている方の多くが、精神科の医師の処方を飲み続けてこられているのかということを、実習先にて現状を知りました。
しかし、精神科の医師がきちんと薬に対して責任を持っているかどうかということは
正直な話わかりません。
生活習慣を変えることで、気持ちの整理がつき、自分らしく生きることができるように
なるのではないかと思います。
ただ、精神疾患の場合、薬の副作用を薬で止めようとして、多くの薬が使用されるいわゆる、多剤療法がまかり通っているのも現実です。
薬剤師になる手前の者がいうのもなんですが、依存性を極力なくしていける方法を、きちんと患者さんと考えていくことができる医師の存在がない現状を打破するのは、至難の業であると考えます。
だからこそ、薬剤師がきちんと薬との付き合い方を患者と共に考えていくことが必要ではないかと思います。
循環器内科の医師が協力的で、ありがたいことです。できれば、+αで、薬剤師の先生に
相談されては如何ですか。
自分らしい生活の目標を共に分かち合って頂き、生活指導をして頂けると思いますよ。
しゅがあさん、猫好きさん、ありがとうございます。
循環器内科の薬を出してくれる薬剤師さんは、心療内科の処方箋を見て、急激に薬を増やしているのでびっくりしたそうです。
4月4日初診
セルトラリン25㎎2錠
アルプラゾラム0.4㎎2錠
4月11日
上記に加えて
イフェクサーSR37.5㎎1カプセル
グッドミン0.25㎎1錠
4月18日
上記に更に加えて
ゾルピデム酒石酸塩錠10㎎1錠
この間、循環器内科の
レザルタス配合錠HDと、マイスリー10㎎も飲んでました。
4月20日、午前中に会合があったのですが、人前で眠ってしまいました。
5月に入るとだるくて、寝て過ごすことが多くなりました。
5月9日が心療内科の診察日でしたが、つらくて行けず、結果的に断薬することになりました。
嘔吐、食欲不振、不眠に苦しめられましたが、何とか脱出しました。
10年間、心療内科の薬に苦しめられてやっと断薬したのに、またこんなことを繰り返してしまいました。断薬したときに、特に離脱症状もなかったので、薬の怖さが身にしみてなかったのだと思います。
今回のことは、薬剤師さんにも勉強になったみたいです。これからは何でも話し合おうと約束しました。
私も健康について勉強し、生き生きと暮らしていきたいと思っています。
また、自分が経験を通して知ったことを、より多くの人に知らせたいと思います。
自分を守れるのは、自分だけです。無知ではすまされない。身体は一つしかないのですから。
このコメントを見た人が、残らず幸せになるよう祈ってます。
また長文になりました。
これまた貴重なお話を聴かせていただきありがとうございます。
短期間でお薬を追加してしまったり、いきなり併用してしまっては、適切な薬の効果判定はできないと思います。
それぞれの医師の考え方はあるかと思いますが、海部麿さんのケースでは裏目にでてしまったようですね。
今回経験された離脱症状ですが、さらに長期に服用していた場合には断薬は難しかったかもしれませんね。時に危険な手段ではありますが、海部麿さんは結果的に薬物治療の闇から抜け出せて何よりです。
無知と依存。
これらが人生を大きく狂わす、と最近強く思います。
疑いすぎず、妄信せず。
常に自分の頭と感性を働かせて世界を見ていきましょう。
今後もお幸せに!
しゅがあさん、ありがとうございます。
私の実感ですが、長年必要のない薬を飲まされていた身体が、飲まされなくなってすごく喜んでいたようです。
変な話、毎日必ずお通じがあるなんて、久し振りのことでした。
ところが、また薬を再開。
私の身体は、慌てふためいて、必死で拒否の意思を示したのですね。
身体は正直ですね。自分の身体と対話しながら生活するのは、とても大事なことです。
さっきスーパーに行きました。
普段はモズク酢をあまり食べないのですが、今日はどうしても食べたくて買いました。すごく美味しかったです。
またお邪魔します。
こちらこそ、言いづらいことを丁寧に教えていただきありがとうございます。
モズク酢のお話、なんだかほっこりしました。自らの身体の声に耳を傾ける、ということが自然とできてきたのかもしれませんね^^
そして、美味しいとお感じになられた。すばらしいと思います。
薬は決して「悪」ではありません。
悲惨な原発事故や多大な被害を出した原爆のもとになる「原子力」だって、その技術自体は悪ではありません。
しかし、強い力は生半可な気持ちで使うと必ず痛い目にあいます。
医療の場合、その犠牲になるのは使用者ではなく患者さんです。
私はもっと慎重に、丁寧に、医療すべきではないかと思っています。
またご気分が向きましたら、ぜひお話しを聴かせてください^^
5月9日に薬を止めましたが、薬の影響が無くなるまで2週間以上かかりました。もうこりごりです。
薬の処方の仕方で、忘れられないエピソードがあります。
私は同じ心療内科に10年以上通っていたのですが、最後の方は、先生に対してかなり不信感を持っていました。
余計なことを言えばまた薬を増やされる…それはイヤだったので、私はいつも「変わりありません」と先生に報告していました。
ある日、体調について先生から聞かれたときも「変わりありません」と答えました。
すると先生は続いて「生活で何か変わったことはあった?」と聞いてきました。
私は何気なく、大型テレビを買ったこと、オリンピックが近いから大型テレビで観るのを楽しみにしていることを話しました。
「じゃあ新しい薬を出すから飲んでください」
「!」
新しく出されたのは、躁状態を抑える薬でした。(今、当時のお薬手帳が手元にないので薬の名前はわかりませんが…)
私は減薬、断薬を希望していましたので、新しい薬には手をつけませんでした。
薬は医療の一部分の筈ですが、医師によっては薬を出すことばかりを考えていることもあります。
自分の身は自分で守らなければなりません。
今はお薬手帳があり、インターネットがあります。
薬剤師さんに質問するのもいいと思います。
患者も勉強するべきだと考えます。
>海部麿さん
健康な人間であっても、感情の起伏は当然あるものですし、ハイになるときもあれば、落ち込むことだってあります。
そういう人間として当たり前のことでも、精神科ではすぐに「異常」と判断されてしまうことがあると思います。
それは、子供におけるADHD(注意欠如多動性障害)の診断でもいえます。「個性」と「病気」の線引きは容易ではありませんが、昨今の傾向は少し行き過ぎではないかと個人的に思います。
>私は何気なく、大型テレビを買ったこと、オリンピックが近いから大型テレビで観るのを楽しみにしていることを話しました。
「じゃあ新しい薬を出すから飲んでください」
「!」
新しく出されたのは、躁状態を抑える薬でした。
このときの医師の思考・診断としては、「大型テレビの購入」=「そう状態における大胆な行動」と結びついたのでしょう。
一般的な感覚では、この飛躍的かつ短絡的な判断はあまりにもお粗末のようにみえますが、精神科医にとっては何ら違和感のない判断なのでしょう。
せっかく生きる楽しみや活力を見いだせたのに「そう状態」とされてしまっては、もはや回復の道は永遠に閉ざされてしまいます。
人間の精神は、元来もろく繊細です。
もっと細かな観察とケアが必要ではないでしょうか。
今回も貴重なお話を聴かせていただきありがとうございました^^
しゅがあさん
本当にそのとおりです。
人は喜怒哀楽を繰り返しながら生きています。
それは、ごく自然なことで、生きる原動力でもあるのです。
その薬について、薬局の説明には、ただ「気分を落ち着かせる薬」と書いてあったと思います。
しかし先生に対する不信感でいっぱいだった私は詳細を知りたいと考え、インターネットで調べ「そう状態」と診断されたことを知り愕然としたのです。
「私には必要のない薬だ」この判断は間違ってなかったと、今でも思います。
薬剤師さんには相談しませんでした。
薬局はクリニックの隣にあり、このクリニックの処方箋のみ扱っている上に、クリニックと薬局、双方の職員が行き来している…つまり身内の薬局でした。
少なくとも私にはそのように見えました。
薬剤師さんの客観的な意見など聞き出せそうになかったのです。
院外処方が一般的になって久しいですが、田舎町ではこのような薬局が案外多いのです。
その点も残念です。
患者のために物申す薬剤師さんが増えるといいなと思います。
>海部麿 さん
また非常に重要な観点からお話しいただきましたね。
「この薬が必要かどうか?」との判断いうのは「診断権」「処方権」という法的な部分に関わってきます。
薬剤師には、医師に照会する権利と調剤を拒否する権利があります。ただし、処方に明らかな「薬学的誤り」がある場合、たとえば患者さんが訴える症状と明らかに効果の異なる薬が処方されている場合などや通常用量から逸脱している場合には、医師に確認することは可能です。
しかしながら、精神領域に関しては処方そのものを否定することは、実質困難です。正しい量と用法で処方されていれば調剤せざるを得ません。
※処方せんを患者さん自身で破棄すれば話は別ですが、特定の薬のみを選んでお渡しすることはできません。
現実的には、薬剤師が違和感を感じながらも、最終的にはお薬をお渡ししないといけない、という場面はあるということです。
窓口で薬剤師に相談できたとしても、医師が処方すると決めたものに「飲まなくていいですよ」なんていう権利は薬剤師には認められていません。
しかし、私個人としては「納得できない服薬」はおかしいと思いますし、納得できないものは口にすべきではないと思います。
そして重要なこととして、手元にある薬を飲むか、飲まないかの最終的な判断は「患者」にあるわけです。
私はそこに活路に見出して情報発信をしています。
もちろん、私の考えやこのブログの情報がすべて正しいものではありませんし、それをもとにした行動に対する責任をとれといわれてもできません。(ちなみに、これは医師も同じで、正しい用法用量で治療をしたうえで生じた不都合の責任は医師にはありません)
ただ皆さまの思考や判断のお助けになり、よりよい未来を創りたいという想いで、私も時間をとって本音でお話しさせていただいています。
微力ながら、今後とも細々と(笑)やっていきますので、今後とも宜しくお願い致します。
大変な思いをされていたところ、水を差すことになりそうですが、海部麿さんに聞きたいことがあります。薬局と医院が身内のところだから、その認識で、薬剤師さんに話をされなかったということですか。それでは、意味がないですよ。仮に、薬剤師さんから、処方箋を受けたときに何も言われなかったのなら、医師との話の内容をきちんと話さないと…
自分で、やめると決めたその心は正しいと思います。でも、薬剤師に対して何も言わず、ただ処方箋を持っていくだけって、本当に意味をなしません。これは、私が薬局実習で思ったことなんですよ。患者さんは、その薬を飲むことでしか、自分というものを
留めることができないんだという気持ちになっています。でも、本当の気持ちを言ってはくれません。こちらが聞きに行くしかない…そう管理薬剤師の先生に言われましたが、
患者さん本人は、どうしたいのかわかってあがようにも、無理があります。
海部麿さん自身の気持ちをきちんと話すことが断薬への一歩になると思います。
身内の機関だからということだけで、そのように諦められると、どうしてあげようにも
ないということを、お伝えしたく、伺いました。
しゅがあさん、猫好きさん
こんにちは。
10年間の通院生活を振り返れば、私は医師にとって都合の良い患者だったと思います。
どんな薬を飲まされても素直に従い、他の医療機関に行くこともほとんどありませんでした。
それは、先生が私の命の恩人だと信じて疑わなかったからです。
私は先生を強く信頼していましたし、逆らうなんてもってのほかでした。
去年に入って、たびたび嘔吐するようになり、身体が重く動けないようになりました。
それでも薬の副作用であることに気づかず、消化器科で胃の検査をしてもらったりしていました。
私の胃は、びっくりするほどきれいでピロリ菌もなかったそうで、薬も処方されませんでした。
「お薬を出さない先生もいるんだ」と、ちょっと驚きました。
薬の飲み過ぎを指摘してくれたのは、医師でもなく薬剤師でもなく、医療保険の審査をする人でした。
それでやっと薬について勉強して、副作用というものに思い当たりました。
残念ながら薬局で副作用の説明を受けたことはなかったです。
間違った認識でしょうが、私から見ると、その薬剤師さんは先生の部下のように見えてました。
薬を機械的に出しているだけだと思っていました。
だから処方に疑問を感じていても、薬剤師さんに相談したことは一度もありません。
薬を止めたら体調が劇的に改善して、やはり副作用であったと思っています。
血圧の治療のため新しい病院に通いようになり、薬剤師さんにもいろいろ相談するようになりました。
診察を受ける前に薬局に寄って、薬のことを聞いたりしています。
私は痛い目にあうことによって、健康を人任せにしないことを心に刻みました。
それでも知識は少ないですから、医師、薬剤師と相談しながらやっていきます。
チーム海部麿の中心は私です。医師、薬剤師はサポートスタッフです。
そうなんですよね、そうやってきちんと主張してくれて初めて動けるのがサポートスタッフである医師・薬剤師なんです。そこをようやくご理解頂けたのでよかったです。
健康は患者本人が望むものであるし、病気で大変な思いをするのも患者さんです。
でも、考えてみれば、医師や薬剤師は、患者さんの声に耳を傾けることにあまりしてこなかった弊害が起きているのではないかと感じます。
海部磨さんが、医療関係者と良好な関係をもってして、健康を自分の手でつかみ取って
くださることを切に願います。
猫好きさん
エールをいただき、ありがとうございます。
薬学部はどこも難関で、確か6年間の修学期間でしたね。
大変な道を選ばれた猫好きさんに、私からもエールを送ります。
現代の社会で、薬と関わらずに一生を終える人は皆無と思います。
それだけに薬剤師さんの役割は非常に大きいです。
私は自分の経験を通して、薬に対する知識が無かったことを悔やんでいます。
同時に、薬との付き合い方を指南してくれる人がいたら良かったのに…とも思います。
今後は薬剤師さんたちに、指南役をお願いします。
薬も医療も、人々の幸せに寄与するものであり、決して人を苦しめるものであってはなりません。
猫好きさん、薬学部の学生さんたち、責任重大ですよ。
勉強サボったら「喝!」ですよ。がんばれ。
身に余るお言葉とエールを頂きまして、ありがとうございます。
確かに大変な道でありますが、自分がこの道を選んだことにようやく誇りを持てる
ようになりました。その道を指示して下さった実習先の薬剤師の先生方に感謝していますし、自分も、今の医療を変えていける力を身に着けるべく、勉強に励まないと…と思っています。海部磨さんのように、今まで医療者に対していい気持ちを抱いてこなかったのは、私たちがなろうとしている医療者にも責任があったと感じています。
患者さんの日常生活への復帰の手助けこそすれ、患者さんを苦しめる医療であっては
いけないと思っています。
薬学部の最終学年ですが、勉強にさらに磨きをかけていかないと思い、身が引き締めて
行きたいと思います。
私を含む全薬学生に対しての喝と思って、今後も頑張って参ります。
どうぞ、ご指南ください、よろしくお願い致します。
先週、内科で5月18日に受けた血液検査の結果を知らされました。
もともと中性脂肪が高かったのですが、それに加えてLDLコレステロールが208になっていました。3ヶ月前には120でした。
これには思い当たることがあります。
4月初めから心療内科の薬を飲み、身体がだるくなり病院に行けず断薬し、結果、1ヶ月ほど寝込んで身体を動かすことができませんでした。
最近は意識して身体を動かしていたのですが、検査結果から、ピタバスタチンCa.OD 錠「MEEK」を1日1錠飲むことになりました。
ところが、3日間飲んだところで、頭が重く、吐き気がして、身体を動かすことが難しくなりました。
この薬を飲む前は元気だったので、薬が合わなかったのかな…と思っています。もう怖くて飲めません。
コレステロールの薬に、こんな副作用があるのでしょうか?
今日か明日、医師と薬剤師さんに相談しようと思っています。
いつもコメントありがとうございます。
結果には必ず原因があります。
当然、ヒトの体がすべて解明されたわけではない以上、すべてが明確になることはないと思います。
ただ、海部麿さんのように日常生活の変化や偏り、考え方の歪みなど身近なところに原因があることも少なくありません。
>LDLコレステロールが208になっていました。
私が同じ立場ならば、少なくともすぐに薬は飲みませんね。
さらに今回の場合、原因がある程度思いつくようなので、そこを改善することが根本的、かつ持続的な解決方法です。
薬により生理機能であるコレステロールの生成を抑えるのは、そのあとでも遅くないのではないでしょうか。
すぐに血管が詰まるというこもないのですし。あと、善玉のHDLも確認しましょうね。
>3日間飲んだところで、頭が重く、吐き気がして、身体を動かすことが難しくなりました。
このような症状を自覚した、それ自体が「副作用」です。
薬を飲んだ後になんらかの不調をきたした、のであれば、精神的なものせよ、身体的なものにせよ、好ましくない反応がでているということです。
もちろん、副作用がでても有用性が上回るのであれば継続しなければならないケースはあります。
しかし、今回の場合には海部麿さんのやる気と人間性に期待して、自力で改善できる余地があると判断します。
窓口の薬剤師に相談してもおそらく「飲む方向」でしかアドバイスは受けられないでしょう。
私も窓口ならば、薬を飲まないくださいという指導はできません。(この医療構造については、海部麿さんならご理解いただけるでしょう)
まずはぜひ処方医に現状と今後の治療希望を相談してみください。
しゅがあさん、ありがとうございます。
コレステロールの薬を飲むことを止めたところ、だんだん良くなりました。
10年以上飲んでいた精神科の薬を止めてまだ半年ですし、身体が敏感になっているかも知れません。
しかし、身体の言うことには従うべきですね。
私も薬に支配された生活は二度と送りたくありません。
運動とバランスの良い食事でしっかり体調管理していきます。
精神科がやりたい放題では無く、厚生労働省が決める、診療報酬を見れば一目瞭然です、厚生労働省にやらされてるが正しい現実です、製薬会社と厚生労働省との癒着が全て、腐敗の根源です、その被害者を救う偽善者、代表取締役(内海聡)ベンゾジアゼピンの一気断薬して取り戻せない身体に、精神科医の3カ月で断薬出来ると同じ思考、根源は厚生労働省、内海聡は、精神科と被害者を叩く、まさにオカルト宗教サイエントロジー教団。
>サトルさま
コメントをいただきありがとうございます。
もちろん内海先生の見解がすべて真実かどうかは、それぞれの判断で考えて欲しいところであり、そのポジショントークにより一定のファンを獲得されていることも事実でしょう。
実際、内海先生が各種の本でおっしゃることを実践していくには相当な苦労も伴うとも思います。
ただ、私自身も医療業界に実際に属してみて感じる確かな違和感もあり、やはり自分を守るには十分な情報収拾と一歩踏みとどまって考える姿勢が重要だなと感じています。
内海さんの扇情的な本は取り敢えず置いといて、ロバート・ウィタカー著『心の病の「流行」と精神科治療薬の真実』を読んでみて下さい。
優秀なジャーナリストらしく、膨大な資料から論理立てて、吐き気のするような真実を暴いていますよ。
そして、心に思うところあったら、勇気を出して行動して下さい。
>慎君 さま
コメントをいただきありがとうございます。
書籍のご紹介ありがとうございます。
これまでにコメントをくださった方々のご意見や書籍での情報などからも、私としてはもう一定の結論がでています。
それは記事に書いた当時から変わっておらず、薬は適切に利用するもの、であり頼りきるものではない、ということです。
そして、薬の貢献度、有益度というのは疾患により異なり、こと精神領域においては、依然として私は「ケア」「環境」に重点を置くべきと考えています。
ただ、そのケアや環境を誰が、どのように、という点において、現実的な壁があり、私自身は、こういった記事を書くことでまずは患者自身が自ら考えていく機会をもってもらいたいという想いでおりました。
勇気を出して、行動をしていたつもりです。
そして、現状そういった方々を本当の意味で救うということに関しては、方法論がわかりません。医療も需要と供給で成り立っておりますので。(この構造自体はご理解いただけると思います)
今後、そういった具体的な活動に参加させていただく機会はあるかもしれませんが、まずは当人それぞれが自ら頭で考えて、人生を変えていく行動をすることが先だと考えます。でなければ、遅かれ早かれ、この世界では生きてはいけないだろう考えています。
医療業界だけに関わらず、綺麗な世界だけを見て信じて生きていくことはできますし、禍々しい裏の世界を見て生きることもできます。どちらが幸せかは本当にわかりませんね。
この腐った世の中をどうすれば変えられるのか、なかなかの難問ですね。
一つお聞きしたいのですが、しゅがあさんから見て精神薬を平気で処方する精神科医は「何も知らない大馬鹿」と「血も涙も無い殺人鬼」のどちらですか?
まあ、前者かな?
>精神薬を平気で処方する精神科医は「何も知らない大馬鹿」と「血も涙も無い殺人鬼」のどちらですか?
精神科医は、むしろ薬を処方するしかないんだと思います。
患者ひとりひとりにオーダーメイドで、その人の人生をよくする方法なんて考えることも実践することも不可能でしょう。
何か治療をしてほしい、といわれたら「薬」を処方するしかないんです。
私が院長でもおそらく同じことをすると思います。
だって、それでなければクリニックは保険請求的に運営できないですし、自分が病んでしまうでしょう。
それが、どうしようもない現状だと思います。
そして、この構造が変わることは今後もない、と私は思っています。
これは精神科だけでなく、他の診療科にも同様の状況が散見されます。
確かに精神科の多剤大量処方などは問題視すべきですが、あまりにも危険で一面的な考え方であるように思います。
また一時期、一般科のクリニックなどでマイスリーやデパスの大量処方されていたことも大きな問題だと感じていました。
精神科というとどこか特別なように思えますが、神経伝達物質のバランスの異常という意味では、パーキンソン病や(多少意味合いは異なりますが、)重症筋無力症、認知症なども似たような疾患といえます。
またパーキンソン病治療薬によりドパミンが過剰になると、統合失調症様の症状が出現することから、統合失調症の一因としてドパミンが何らかの形で関わっているのはおそらく正しいと思われます。ただし、定形抗精神病薬では陰性症状にはほとんど効果がないことから、他の神経伝達物質もおそらく関与していることもおそらく間違っていないでしょう。
精神病未治療期間(DUP)というのがあり、早期発見早期治療ほど予後がよく、治療が遅れてしまうと脳が器質的に変性してしまい、予後が悪くなるのはほぼ間違いないと言われています。
当WEBでEBMとエビデンスを謳い、薬剤師としてサイトを作成するのであれば、一冊のトンデモ本だけをソースにし、鵜呑みにしてそれらしく記事を作成するべきではありません。
「人間はちょっとしたことで怒り、泣き、笑い、悲しむ、ちょっとしたことで不安になり、どうでもいいことにこだわってしまう。変なものが見えたり聞こえたりすることも、人によってはあるだろう。それが普通であることを人々は忘れてしまったようだ。」
これはまさにその通りなんですが、それにより生活に多大な支障を及ぼしたり、自傷他害のおそれがあるから疾患なんです。
>アナボリックステロイド 様
貴重なコメントをいただきありがとうございます。
おそらく貴方の論点とこちらの記事で記載した内容とは異なっているのではないでしょうか?
この記事ではEBM云々という話は一切していなかったと思います。
私自身が医療の現場に身を置いて、感じてきて、疑問に思ってきたことであって、その構造的な問題意識については、今現在は変わっていません。
精神疾患、こと後天的なものに関しては、かならず根本原因があり、それを解決しなければ「薬漬け」になるという、当たり前のことしか述べていません。
もちろん、そこには化学的なメカニズムと脳の器質的な変性なんていうことも観察されるかもしれません。
しかし、そんなことよりももっと大事なことがあるのでは?という問題提起をしたかったのです。
薬剤師だからこそ、そんな表面的な問題や薬学的知識で片付けられるような根の浅い問題ではないと考えているのです。
この記事によって簡単にすべての読者が救われるとは思っておりませんが、それはどんな薬であっても同じではないでしょうか?
使い方や解釈によって、どんなモノや情報も薬となり毒となりうるでしょう。
その思考力と判断力を鍛えることこそが、現代の生き抜く力だということも常日頃伝えております。