高齢者の一割負担をどう考えるか?

「あら、ただみたいなものね」

「ずいぶんと安いね」

「血糖値とかそんなの気にしてないよ」

こんな言葉を高齢者から聞くことがある。

彼らの自己負担分は「1割」だ。

つまり10分の1だけ。

仮に、自己負担が1000円なら9000円は税金。

自己負担が5000円なら45000円は税金である。

だいたいそれで2か月分などだ。

1年でみると、1人に対して数十万~数百万円かかっている。

これはあくまで薬代であって、
病院でかかる診察料はさらに上乗せである。

これが「医療だから」という言葉で片付けたらそれまでだ。

あくまで主観的に思うことを述べたいと思う。

上記のような現状は、なかなか医療の現場で働かなければ
実感しにくいだろう。

私自身も携わるようになって分かってきたことだ。

この現状を国民に周知した時、どういう反応が起こるだろう。

・医療だからお金かかっても仕方ないんじゃない?

・使いすぎでしょ!俺らが払った税金を。。。

・難しい問題だし、なんとも言えない。

などという意見がでるだろうか。

少なくとも、自分の生活に困っているような人からは、
献身的な意見だけではないように思う。

私は高齢者や患者を見捨てろと言っているわけではない。

「自覚してほしい」

ということだ。

自分の健康にはどのくらいのお金と労力によって
支えられているのだろうか?

そういう観点をもってほしいということだ。

なかには感謝の言葉を残していく人がいる。

「ありがたいよ。」

「いつもお世話になっています。」

言葉がすべてではないが、そういう気持ちをもって
いる方は助けたいと思う。

ただ単に自己負担が安いから気にしないとか、

生活保護を受けているから支払は関係ないとか、

そういう人を助けたいと思うだろうか?

少なくとも私はそういう人に対して、

「自覚してください。そして努力してください。」

とはっきりと言いたい。

糖尿病なのに全く生活習慣を変える気がない、

必要な薬を飲まずに余らせている、

など全額自己負担でもいいだろうと思う事例もある。

本人の努力だけではどうにもならない疾患もある。

治療に多額の費用がかかってしまう疾患もある。

それを助けられる日本の制度は素晴らしいと思う。

ただ、そこには影の部分も間違いなく存在し、
医療のひずみが顕在化している。

私たちの世代が高齢と呼ばれる頃には、
具体的には定かではないが
今の医療保険制度は存在していないだろう。

最近では、高齢者負担が2割に増額になるという案もあるようだ。

社会の流れは、自分の身は自分で守るという方向にシフトせざるを得なくなっている。

そういった流れの中で、医療の存続は個々の理解と努力が必須になっていくだろう。

皆の意見をぜひ聴きたいテーマだ。

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コメント

  1. 猫好き より:

    しゅがあさん、正直に申します。
    本当に切り口が鋭く、指摘される言葉、一言一言が、身に染みて感じられました。
    そして、健康で居られる日々に感謝していきたいと思います。
    ここから先は、私が思うことを書かせてください。
    医療関係者の子として、世に生を受け今に至るまで、長い年月がかかってきました。
    そもそも、親がそういう仕事に従事していることを認識した時、最初の方は、なんとも大変な仕事だな、としか思っていませんでした。
    しかし、親から保険証を貰った時、親が働いている職場のほとんどに、税金が投入されていることを知らされた時、凄まじい衝撃を受けました。しかし、深く知ろうとすると
    今の日本の医療費は、諸外国の中では、かなり低いということ、そして、医師不足や他の医療関係者の不足が、この医療費の削減によって起こってしまったことであるとも、
    知りました。医療機関は、多くの医療関係者が働いて利益を出すことによって、回っていきますが、人員の不足に拍車がかかれば、それどころではなくなるということになります。話が逸れましたが、言いたいことは、医療費という税金の創出があってこそ、今の医療が成り立ち、そのうえで、保険証一つでどこでも受診できる皆保険制度があるのは日本だけであり、外国にはないことの意味を考える必要があるということです。税金の引き上げがまた延期になり、医療費の創出が難しくなってきていますが、医療に限らず、多くの公共機関が、税金がつぎ込まれているという現状をきちんと一人一人が認識して行かなければならないということです。
    医療機関の人員不足による利益創出にストップがかかるようなことは決してあってはいけないことであると思います。
    しかし、コンビニ受診といったあまりにも、常識を失った行為をする患者に対する対策も考えていかないといけないと思います。それこそ、自覚をしてもらいたいことであると思います。救急車の適正使用も考える必要があるのではないかと思います。特に、本国においてこの救急車の使用は無料です、しかし、あまりにも緊急性の低い通報が多いこととある本に書いていました。諸外国特に米国では、救急車を使用する前に、保険会社に事前に利用の旨を知らせていないと、無断で使用した場合は、その部分の費用だけは払われないとあります。適正な使用を求めるだけではなく、緊急性を考慮に入れた使用を本来求めて行くべきことであると思います。国民の多くが、ただで診療して貰っているのではないと認識していくことが大変重要なことであると思います。
    健康で生活できることと、医療機関にかかるまえに十分な心得が必要であると思います。