健康は手段であって、目的ではない。

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人はだれでも「健康でいたい」と思うでしょう。

でも、不思議なことに健康を追求しすぎると、なぜか不健康になってしまうのです。

食べ物について、知れば知るほど「食べられるもの」は減っていきます。

そうすると、栄養が偏ってしまったり、外食ができずに人とうまく付き合いができなかったり、いろんな問題がでてきます。

普通の生活をしていくなかで、いわゆる「有害なもの」をすべて避けることは不可能でしょう。

だって、空気は世界中で循環しているし、水だって循環しています。

おまけに今話題の放射性物質も。

そういうものは、100%防ぎようがないんです。

だから、そういうものを気にしだすと、もう生きてはいけないのです。

精神が病んでしまうのです。

眠れない人だってそう。

眠ることに「執着する」から眠れないし、心配があるから眠れない。

だから、僕が思うのは「一度寝ずに過ごしたらいかがですか?」ということ。

もちろん、不眠症の人からすれば「けしからん!」といわれるかもしれませんが、人間のからだはそんなに欠陥品じゃないですよっていいたいのです。

からだが欲すれば、自然と眠くなりますから。

「眠るぞ、眠るぞ!」なんて、交感神経バリバリの状態で眠れるわけないじゃないですか?

だったら、一度「眠くなるまで、とことん起きてよっか!」と開き直ってみるのです。

そうすると、眠ることに対して執着がぱっとなくなるのを感じるはずです。

そしたら、あとは本を読むなり、ゆったりとした映画をみるなり、その活動に意識をうつしてみてください。

軽い運動をして、身体に疲労感を与えてもよいでしょう。

疲れたら、きっと気づけば自然と寝ているはずです。

少し考えれてみれば分かることですが、多くの病気は「執着」から生まれるんですね。

特に、健康そのものに執着しだすと、必ず不健康になります。

その本質的な理由は、健康はあくまで「手段」であって、人生の「目的」には成り得ないからです。

考えてほしいのは、「なぜ」あなたは健康でいたいか?ということ。

そこ、をまずは一人一人がしっかりと考えていくべきだと思うんです。

ほんのささいなことでもいいんです。

子どもの成長をみたいでもいいし、少しでも絵を書いていたい、勉強して誰かに伝えたい、清掃をして町をきれいにしたい・・・

そこに必ず「他者」をいれることです。

他者がなかったら、あなたが健康でいる意味ってなんでしょうか?

それは独りよがりのまがままであって、誰かに助けてもらう資格はないと思うのです。

生き残る欲求も「生物」としては正しい姿です。

ただ、それは「動物的」な健康であって、そこにあるのは人と人との助け合いではなく、弱肉強食・サバイバルです。

人間として、誰かに助けてもらい「健康」を守ってもらうのであれば、その健康、つまり生命を誰かのために使うべきではないでしょうか?

そして、少なくとも「感謝」の気持ちがあってしかるべきだと思います。

そんな視点のある人は、自ら学び、自分を律し、自然と努力するようになるはずです。

「当然だ」という気持ちをもっている人が、あまりにも多いのではないでしょうか。

僕はいろんな人をみていて、素朴にそう感じるのです。

「人間的」な健康に気づいた人は、本当の健康の意味を知り、まさにその人は有意義な人生を歩くことができると思うのです。

医学も薬も、そういう姿勢から生まれ、使われたものでなければ、ただの「金儲け」と「毒」にしかならないものだと僕は思います。

何かの考えるきっかけになれば幸いです。

それでは、また。

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